トライアスロンを完走して

 

トライアスロン、オリンピックディスタンスを初めて完走してきた。
スイム1.5km・バイク40km・ラン10km。想像以上をしていたよりもキツかったけれども、この挑戦は大きな学びをくれた。せっかくなので、感じたことをまとめてみた。

 

きっかけは親父の死

昨年8月末に親父が癌で亡くなった。人はいつか死ぬ、親とのお別れは必ず訪れると頭ではわかっていたけれども、その時はあまりにも急だった。癌と診断された頃には、ステージ4で医者からの余命宣告は半年だったと記憶している。


この期間は岩手へ帰省してはお見舞いに行き、東京に仕事に戻るという生活だった。毎日そばに居られたら良かったのだけれども、コロナの名残がまだあり面会は、親族であろうとも月に1回。1回1回の面会が文字通り貴重な時間だった。転院した時には、リハビリを頑張っていて電話もできた。「今日は30m歩けたぞ」と自慢げに電話してくれた頃が懐かしい。大きな湖のほとりの病院で、窓からはその景色が一望できた。1ヶ月目は「こんな何もないところ楽しくないぞ」と親父らしく文句も垂れていた。この時はもしかしたら…という奇跡を信じていたかもしれない。

でも、時が経つにつれて病状は悪化。併発していた病気の影響と体力の衰えで、抗がん剤の投与もできない。時間の問題だった。
危篤の連絡をもらった時には、自分は東京にいて、母親も間に合うかという状況。新幹線に向かう途中にお別れの連絡をもらった。

親父は無口だし、正直、何か心が通う会話をした記憶はない。ただ自分が何かしたい時に、それを拒むことは一切せず、何かの押しつけもなかった。大学を辞めたり、いきなり起業をしたり、と今、自由に生きれているのは親父のおかげだと思う。

だからこそ、最後にはありがとうという感謝の言葉をかけたかったのだけれど「ありがとう」という言葉をかけたらそれはお別れを意味するんじゃないかと思って「頑張ろう」しか言えなかった。結局、口下手なところは親父譲りになってしまった。日頃から感謝を伝えられたらなぁという後悔もある。

母親は、心の整理に時間がかかっただろうけれども、自分はそうではなかった。
お酒が強くて、大好きで、宴会馬鹿だった親父から「しみったれてないで皆んなで酒飲んで弔え」と言われているような気がしたからだった。バトンを受け取って前に進む。自分はそうしたかった。

 

そして、闘病の様子を近くで見ては「人生は体力である」ということと「人生の限られた時間、できる未来が想像できない無茶なことにもっと挑戦していこう」と決め、思いついたのがトライアスロンだったので半年前に出ることを決めた。

何より親父は口ばかりの人間だった。「俺はバク転ができるぞ、俺はサーフィンもできるぞ、俺は…」酒の席で嫌ほど聞かされた親父の武勇伝。後から親族みんなで話していると、誰もその光景をみたことがないと。どうやら本当に口だけだったようだ。笑

そして兄貴もその気がある。昔はそんな口だけはネガティブな感情だったが、今はそれも含めて愛嬌なんだと思える。現に親父も兄貴も人が周りに集まるタイプの人間だ。弱みは愛嬌を生む。

ただ自分はそのタイプではない。というか経営者としては描いた未来は実現し続けたい。兄貴も母親も「いつかお店をやりたい」とよく口にする。親父が死んでから特にその言葉を聞くようになった。

だからこそ、それが夢で終わらないように彼らに「いつか」じゃなくて「今やろう」と。「やればできるよ」とそう伝える裏の動機もあった。

 

挑戦の一歩目:環境をセットし先駆者に話を聞く

このような経緯で挑戦を決めたわけだけれども、正直、完走できる現実味はなかった。何よりスイム。人生で最長50mしか泳いだことなかったのに、1.5kmも、しかも海で泳ぐ自分が想像できなかった。

まずは自分の会社のアドバイザー2人に「一緒に出ましょう!」と伝えた。二人とも快諾してくれた。一人はJリーグのとあるチームでフィジカルマネージャー、一人はメンタルコーチ。適度なピアプレッシャーな環境を作りたかった。

そして、フィジカルコーチは以前トライアスロンを完走したことがあるとのことだったので、練習メニュー、必要な道具、体の仕上げ方、諸々を教えてもらった。

トライアスロンは誤魔化しの効かないスポーツです。サッカーはサボったとしても他の10人がカバーしてくれる。文字通りのチームスポーツ。ただしトライアスロンは自分がやらないと、前に進みません。そして同じ動作を1,000回、10,000回、10万回と繰り返すわけです。フォームが崩れていたり、疲れが1箇所に集中したりすると、歪みが出てそれが体全体に影響します。自分の心と体しか頼りにできない究極の個人スポーツです。だからこそ達成した瞬間には、変なホルモンがたくさん出ます。達成感だけではとても言い表せません。これはゴールしてみてからのお楽しみです。」

フィジカルコーチには最初にこのように伝えられた。「面白そうじゃん」とさらに火がついた言葉だった。

スイムは、プロのトライアスリートにマンツーマンレッスンをお願いした。海とプールの違い、競泳と海での泳ぎ方の違い、などなど教わった。この指導のおかげで「楽に」泳げるようになった。トライアスリートYoutubeもたくさん見た。

まず、練習が継続できる環境(ハード・ソフト)とアドバイザーを見つけて環境をセットすること。当たり前かもしれないが、この挑戦の過程を振り返ると、適切な1歩目だったように思う。

適度な挫折

まずハーフマラソンを走ってみた。約20km。これを走り切れればランは大丈夫だろうと思っていたのだけれど、アクシデント発生。完走こそできたが、足の怪我とエネルギー切れを味わった。怪我はいわゆるランナー膝。サッカーで走るのと体の使い方が全く違うことを知った。

エネルギー切れは、カーボが足りないことで、お腹が空いてしまって最後ヘトヘトになってしまった。ハーフを走るのであればおよそ1,250カロリー程度。カーボを溜めておかないとギリギリエネルギーが切れるくらいのライン。普段の食事から、特にレース前の食事を見直すきっかけになった。

この怪我をきっかけに、以前通っていたコンディショニングジムの門を再度叩き、自分の体の構造や癖は知っていたつもりだったけど、改めて捉え直すことにした。

怪我によって1ヶ月はトレーニングできなかったのだけれど、おかげで自分の体の限界を知った。新しい挑戦に対して、適度な挫折は必ず訪れるし、それは変化を促す大きなサインになる。

 

(おまけ:ハイキューで一番好きなコマ)

憂鬱は挑戦の証

怪我もありながら、半年間、コツコツ時間を見つけては練習を重ねてきた。

「長く現役を続けられるレジェンドアスリートは、ピーキングをよく心得ている。100%を出し続けるのではなく、80%をずっと続けられるんです。そのために自分の体をよく知っている必要がある。一流の選手の自己認識能力はズバつけて高いですよ。」


一流の選手の体を見てきた、先述したフィジカルコーチからそう教わった。ビジネスにも通ずる考えだ。

仕事に支障が出るほどのオーバートレーニングや、極度な我慢はせず適度な節制(食事・お酒)と、適度な負荷。長く続けるにはこの二つのバランスが肝だった。

途中で最初に誘った二人がレースを欠場することになるハプニングもあったが、その時には自分にはもうすでに練習の習慣ができていたこと、何よりここで一人で続けて完走したら余計すごくないか?という謎のポジティブが発生して痛手にはならなかった。何より自分で最初に言い出して、決めたことを途中で投げ出すようなことは自分が一番嫌いなことだから、なんとしてもやり切るという思いだった。

ただ練習を重ねた分だけ不安も膨らんでレース開始の直前まで超憂鬱。この緊張感や憂鬱感は、会社のキャッシュが危ない時、投資家や銀行の返事を待っている時、高校最後の大会、大学受験など過去何度か味わったことがある感覚だった。これは自分にとっては、ちょうど良い負荷のサインだと認識した。

「憂鬱でなければ、仕事じゃない」という見城さんと藤田さんの共著が好きなのだけれど、久しぶり感じた憂鬱さだった。常に憂鬱は精神性正常良くないし、憂鬱を得にいくという動機は不健全だとも思うが、結果的に憂鬱が発生するというのは良いチャレンジの証だ。


完走後に感じたこと

いざ本番。水中で殴り蹴られで、ほぼ溺れてたし、心が折れそうになったけれど気合いで泳ぎ切り(スイムは1000位中、970位とほぼビリ… )暑さも相まって気も意識も遠くなってたけれど、バイクとランもなんとか走り切れた。そして走り切った後に思いがけない学びがまたあった。

 

①「応援できる」は才能

メンタルコーチがレースには出ないけれど、コーチとマネージャーに徹すると言って石垣島まで帯同してくれた。レース前の彼の支援、レース中の応援は本当に力になった。時には自分より熱くなり応援してくれていた。

正直なところ、自分は応援に対してそこまでの熱量は出せない。事業的も、支援業というのも好きではない。自分がプレイヤーでいたい。

けれど今回「応援」から大きなエネルギーをもらった。道端で声をかけてくれる石垣島の皆さん、きつい時に沿道で演奏してくれていたブラスバンドは高校の選手権の時のスタンド応援がフラッシュバックした。(余談だけれど、同時にベンチから聞こえる監督の罵声?もフラッシュバックしてちょっと焦った...)

誰かを精一杯、応援できるというのは才能だと心の底から認識した。もう一つ抽象度を上げると、自分の美学と他の人の美学を混同しない事だ。何より応援されるというのは幸せなことだ。

 

② 人によって”一歩”の大きさが違う

①の少し関係するが、コーチとレース後、飲みながら盛り上がった話がある。チャレンジにも段階があり、まずやらなくても良いから「できるだけ近距離でそのチャレンジを直視する」というのも一歩なんだという話だ。
人によって”一歩”の大きさが違うんだと身をもって知った。彼は今回は出場できなかったけれど、自分のレース準備の過程、実際のレースの様子、レース後の話を聞いて「来年挑戦できるイメージが湧いた」と話をしてくれた。

組織マネジメントにおいて、崩れる最初のサインは「俺ができたんだからあなたもできるでしょ」という思想らしい。自分はその気が強い。自分の一歩は、誰かにとっては大きなもので、誰かにとって小さなものに見える。当たり前だけど大きな示唆だった。

 

タイムマネジメント

振り返ると、仕事でタスクが山積みの中で、よく時間を捻出したなぁと感慨深さに耽った。次の会議まで1時間30分ある、そんな時でもプールに通ったり、時にはシェアメイトであるしゅんしゅんと、ナカケンと、ランニングに出かけたりした。いつも誘ってくれてありがとう。

限られた時間の中で最適なワークロードを設定して、こなしていく。これは仕事にも活きていると実感する。レースがひと段落した今、「時間めっちゃある...!」という感覚になって仕事の生産性も上がっていると感じる。

 

④ ピーキング(フィジカルマネジメント)

ハーフマラソンでのエネルギー切れを経験してから、今回のレース1週間前は徹底的に体内のカーボ・アミノ酸・水を貯蓄してやろうと決めていた。炭水化物を食べ続けるというのは正直結構きつかった。筋トレで言う増量期に近い感覚。炭水化物を中心に食べ続けるのはまさに食トレという感覚で、体は重くなるし、頭はぼーっとする時間が増えた。アミノ酸も溜めに溜めた。

おかげで31℃の気温、約3時間30分に渡るレースだったが、一度もスタミナ切れや足の張りや乳酸の溜まりを感じる時間はなかった。(辛かったのは心拍と長い時間、体を動かし続ける集中力だった。レース中のカフェインが足りなかったという新しい学びもあった。)
このピーキング、得たいパフォーマンスを逆算して、特に食事から摂取すべきものをコントロールする術を心得たのは仕事にも必ず活きる。

 

⑤ 最前線を走るというリーダーシップ

人によって発揮するリーダーシップ、影響を与えるスタイルがある。これはリーダーシップこそが世界を変えるという思想である、大学時に所属していた学生団体の時からずっと考えてきたことだったが、自分のスタイルはいかに?というのはあまり明確ではなかった。というより環境や立場によって変えてきたという方が正しい。

ただ、今回のチャレンジを経て絶対的なスタイルが明らかになった。自分が先頭を走り、チーム、組織の限界のレバーを上げていくというスタイルが自分の性に合っている。近年はサーバントやらさまざまなリーダーシップスタイルが提唱されているが、自分は古典的なタイプかもしれない。道なき道を作ることにワクワクを感じるし、結果それが誰かの挑戦を導ければ良い。

今回も、各所、応援してくださった皆さんに完走報告をしたらこういう勇気や挑戦は、誰かの勇気と挑戦にも火をつけるというのも身をもって体感できたし、1番嬉しかった。
リトリートでシェアメイトであるコニタンとナカケンがくれたギフトカードがここにきてさらに、腑に落ちて自分のものになった気がする。ありがとう。

 

⑥ 挑戦をすると、発信したくなる。結果が出るともっと発信したくなる。

これが最もNewだったこと。自分は発信が苦手だし、宣言やらも得意ではない。黙って勝手にやれば良いと思っているタイプに近い。ただし、今回のような挑戦をして、さらに結果がついてくると、なぜか発信をしたくなった。

これがどんな感情かはまだ深ぼっていきたいが、発信をしたくなったという事実はポジティブに受け取りたい。発信をしたくなる挑戦をすれば良い。これが自分の挑戦の度合いを図るリトマス紙か?と問われればそれはまだ分からないし、必要条件ではなさそうだけれど、十分条件には値するかもしれない。

 

自動内省に値するチャレンジを。

30歳になった。少し停滞感を感じていた人生。やりたいことは明確だが、その大きさ、スピードに対して何かもう少しアクセルが踏めないかとそうぼんやり考えていた。その歯車が大きく動き出した気がする。

そんな時、自分の癖として内省から入ることが多いが、順序が違った。まず大きく踏み出してDOする。薄々感じていたことが、腹落ちした。自分にとって大きなチャレンジをすると、こうして勝手に内省を始め、たくさんの学び、気づきを得られる。そんな内省に値する挑戦の機会をたくさん作り出すことが先だ。

 「自ら機会を作りだし、機会によって自らを変えよ」

今はできないと想像するくらいの未来を描き続け、「人生に不可能なんてないのである」を体現しながら冒険を続けていきたい。

仕事でも「いつか」と考えていたことを「今」できないかを考えてリミットを外していきたい。レースが終わってから、まさに「いつか」と溜めていたネタを2つ動かし始めた。

 

「大丈夫、いつだって超えてきた、やればできる」

そう言い聞かせ活力を生み続けたい。

 

そして挑戦のきっかけをくれた親父に、もっとできるだろうというメッセージをくれた(気がする)親父に、改めて感謝を伝えたい。

もうすぐ一周忌。

フィニッシャータオルと親父が大好きだった日本酒を持ってお墓参りにいく。