ジョブレス期間を経て

会社を辞めて数ヶ月、自分が何をしていたのか。とこれから何をしたいのか、について。

僕は数ある企業の中でもAmazonがとても好きで、企業文化の一つに『いつだってDay1である』という指針がある。そういった意味で、なんのしがらみもない自分が何を考えていたのかをいつでも立ち戻って確かめられるように文字として残している。

 

1社目を起業してからこれまで、特定の産業に対して張り続けてきた。面白いことに、しつこく生き続けていると、業界構造からお客さんのニーズの変化、競合企業の動き、未来がどうなるのか、その時間軸などたくさん鮮明に見えてくるものがあった。自分がこれだけ鮮明に動きと未来(20年先くらい)が見えたのは初めてで、だからこそ捨てることに対して、とてつもない抵抗があった。

それでも辞めた理由は、自分の大事なコアが失われると思ったから。正直、会社経営なんてものをしていると、大体性格は悪くなっていく。これは非常に難しいけれど、恐らくどの会社も全体最適と個別最適が一致することを目指しているが、何かしらでトレードオフが求められ、何かしらの犠牲が伴うから。

その中でも各社それぞれ何かしら乗り越えたストーリーがあって、超える度にリスク許容度とメンタル・タフネスは上がっていく。ビジネスは競争ではないと言い張る人もいるが、実態はマーケットの中でのポジションを取り続ける競争だし、当たり前に、手段は選ばなくなっていく。自分も守るべきもののためなら闘うことを厭わない。ましてや成長につれて、経営のボトルネックは変化し続けていくし、だから些細なことは気にしなくなっていくというのが所謂、性格が悪くなっていく大筋の理由だと認識している。

 

それでも最後自分の中で反発したのは、それだけは曲げちゃダメだろうという在り方だった。一貫性、正直であること、仁義を通すことを曲げた時に、自分の魂ごと抜かれる気がした。だから放り投げた。勿論、この状況を作ったのは自分の全面的なミスだから、誰かを責めるつもりは全くない。自己矛盾に耐えられなくなって体が先に悲鳴を上げていることに気づきながらも走ってきたのは自分の選択の結果でしかないから。

何事も過ちを棚卸しして、学びとして昇華して、次に活かすことしかできることはない。 

とにかく休むこと。何もしないことを受け入れること。

少し脱線。

最近、リモートワークということもあって、うつ病や休職という話をよく聞くようになってきた。友人の経営者はどれだけ労務ケアをしても、やっぱり一定確率は発生してしまう、と悩んでいるのを聞いた。

自分も例外ではない。これまで綺麗事を言い張ってきたが、辞めてからは基本的には体たらくな生活をしていて、ベッドから起き上がる気力もなければご飯を食べる気力もなかった。

ある人に「あなたは今人間じゃない」と言われるほど落ちた。自分はメンタルが弱い方なので、こういった時の心得はプロのトレーナーから聞いていたから対処できたものの、知らなかったらみんな生きる活力をなくして悲惨な事態になっていく。

人にもよるけれど、こういう時は、落ちるところまで落ちるというのが基本。

自分も定期的にコーチングも受けているが、コーチングのように、鎮痛ではなくディベロップメントの要素が強い選択をすると、Badが強くなってしまってより落ちていく。

だからこういう時の心得は流れに身を任せて落ちる、そうすると大体飽きてくる

 勿論人によって対処は異なるものの、何かしらのメンタル・クライシスは発症してしまうと再発率が上がってしまうから、自分に合った処置を早期で見つけることはとても大事。まだ自分も若いが、大体の人はリカバリーのことを軽視しがちだと思う。1日単位での「ハードワーク・ハードリカバリー」。週末寝溜めとか一番やったらダメ。

しっかり寝て、しっかり食べて、しっかり笑う、しっかり運動する。これを自分でコントロールできない人に挑戦する資格はないと自分に言い聞かせているし、この期間飲み歩いていたが、もうしばらくお酒は適量にする。

ただこのクライシス自体は、振り返ると良いことで、自分は仕事以外に生きがいがなかったのだと感じるいい機会になった。それはそれで寂しいと言われることもあるが、起業しようだの考える人種はそんなものだろうし、両立してる人もいるけれど、経営のことが頭の中から全部離れる瞬間なんてないでしょう。

 

長くなったけれど、このジョブレス期間を通してやりたかったことは、これまでの棚卸しとこれからの生き方のセット。20代も後半に差し掛かると各々ライフステージがあるし、長く一緒に頑張ってきた経営者の友人たちは次なるステージに突入しようとしている。先輩方は遠い先を歩きながら、未来に何を残そうかを考えている。様々な考え方に触れる中で、すべてを受け入れて自分は何をやりたいんだろうかと、咀嚼してみようと思った。

これからは、この期間にやってみたこととその感想をツラツラと書いていこうと思う。

 

やってみたこと1:はじめての就職活動

人生ではじめての就職活動をしてみた。友人、先輩も含めたくさんの方からオファーを頂いたし、ビズリーチにも登録してみた。南場さんがDeNA経営期間中に、何を思ったか転職サイトに登録したという話を聞いて、やってみることにした。

 

沢山良いオファーはたくさんあったことは嬉しかった。ただとても失礼でおこがましい話だと認識した上で、頂いたお話全てで自分が活躍できるイメージがあった。だからそれは楽な道なんだろうなと思ってしまってお断りした。ごめんなさい。

 

より噛み砕くと、経営者にとっての価値は企業価値とそれを構成する財務諸表ロマンはソロバン有りき。だから自分の市場価値なんてのは意味がない。どっちが良い悪いではなくて、評価の基準が違ったんだと、それでしかない。

 

ただこの就職活動自体も別の目的があった。自分の目的を確かめるために、色々な企業の社長と対話しながら、その人の見えている世界を覗いてみようというのと、自分との違いはなんだろうというものだった。

 

『何屋さんなんですか?何をやってる時が一番楽しいんですか?』

 

この質問は月並みだが、一番困ったし、一番有意義だった。ただ嘘つかずに「そんなものはありません」と答えて回った。

 

理由は単純で、これまでは常に課題が変わり続けるボトルネックソリューションが仕事だったから。事業の作り込みが必要な時期もあれば、採用・資金調達が必要な時期もある。多岐に渡るからそんな専門性はありませんというのが答え。

ジェネラルに各領域の専門知識は求められるものの、本質的には変わり続ける経営課題の解決が自分の仕事だったから自分自身は何屋でもない。※ 会社が何屋かは明確に定義する必要はある。

これに対して後ろめたさも何もなく言い切れる自分がいることを確かめられたことは大きい収穫だった。

 

あと面白かったのは社長レベルでの面談になると、いともカンタンに見破られた(笑) 

『面談は以上なんだけどさ最後に聞きたいのが、もう1回自分でやる気はないの?』

嘘つくのが嫌だったから「ありますよ」とお答えしたらこの企業からはお見送りメールが送られてきた。そんな奴に割いてる時間はねぇ、勝手にしろというメタメッセージを受け取った。

 

また自分が求めるビジョン・ミッションというのがどういった性質を帯びているのかが分かってきた。ビジネスは、お客さんの問題解決をしてお金を頂くというとてもシンプルな経済活動なわけだが、その先にどういった世界が待っているのか?と問うと◯◯のプラットフォームになりたい、そういった類の手段が目的化している回答が多かった。だからと言って経済活動の力学には反していないため否定はしない。大きくなったらそれだけの人に価値を届けていることになるから。

ただ自分の性格的に手段と人に対してグリップされることが少ないため、自分の求めるビジョンとはマッチしなかった。と同時に目指すべき社会の姿を持つ企業というのはとてつもなく採用有利だなと感じたし、それは創業社長の果たすべき役割で、継承するならば経営そのものではなくビジョンと意志の継承であるべきだ。 

とてつもなく良い学びになった就職活動だった。

 

やってみたこと2:旅行と娯楽

一人で沖縄に旅行に行ったり、遊んでみたり。感想は楽しかったんだけど虚しかった(笑)。どうせなら海外に行きたかったけれども。

これは旅行とか娯楽を否定するわけではないし、一緒にいた人達を否定するわけでも全くない。今はそれをやる時期じゃなかったんだと思う。

エネルギーの向き先が決まっていないこの時期に、落ち着いたり、娯楽を楽しんだりすること自体は自分にとってあまり意味がなく、本筋ではなかったということをただただ再認識できたことに意味があった。

やってみたこと3:司法試験の勉強

リーガル要件が強い事業をやっていたこともあって、当時は弁護士の方々から強いお墨付きを頂いた。正直、隔週の弁護士チームとのミーティングはとても楽しかった。

 

浪人の時から弁護士になりたかったし、浪人時の友人が今、司法試験に向けて勉強している。これもタイミングかなと思い、一緒に勉強してみようと思ったが、結論やめた。きっかけは大先輩のから一言だった。

『それは本質的に、お前がリーガルに向いてるんじゃなくて本10冊読んで、専門家と話ししたら、大体できるようになるだけだろ。てか経営者ってそういうもんだろ。

 

まぁそうだなと。お前の向かう先はそこじゃないぞと正してもらって感謝してる。

幸いリーガル分野の繋がりは強いからこそ、彼らに任せようと思った。明確に捨てられたことの一つ。

 

やってみたこと4:経済と歴史のお勉強

たくさんの人にお会いする中で、「次は何するの?」と聞かれる度に焦る自分がいた。

ただ、焦る自分をメタ的に見ると心底気持ち悪く感じる自分がいた。他人の時間を生きることほど無駄なものはない。だから登る山を決める ということにできる限りの時間を使っている最中。

 

その過程で、この世界に対する理解の足りなさを痛感した。改めて自分が放棄してきた「勉強」を自分の経営経験というレンズを通しながら進めている。勿論、全部知り得ることなんてできないし、全部知り得てからアクションするなんて筋の悪いことはしない。ただ今の自分が見えるだけの世界をキャプチャーして登る山を決めていきたい。

 

やっと全体像が見えてきたがとてつもなく長くなるため、また別のブログで今見えている限界を記しておきたい。

 

やってみたこと5:人に会う

これまでお世話になった人に挨拶して回った。新規でご紹介いただいた人もいた。

やっぱりこれが一番、時間の使い方としては有意義だった。 この期間、一番マインドシェアを割いて考えたのは『もう1回創業期をやるのか?』

 創業期ってのはまぁー大変。これまで創業期を経験したのは3回。次で4回目。あーまたあの地獄やるのかーというのが本音。まぁしんどいことから逃げたくなるのが人間。

 

皆さんから厳しい意見も頂いた。要約すると、あなた創業向いてないし、経営者タイプだから天下取りそうな人に仕えたほうが良いよ、というとても優しさ溢れる意見だった。

認知していたからこそ、実はそこまで悩むということはせず、逆に今まで自分の船を作るという選択から逃げてきたから、この有様なんだろうとも思うし、この時期に仕えたい主に出会えなかったというのも明確な事実だから、まぁやるか。というそう落ち着いた。

 

これからの話:ゼロからコツコツ

このジョブレス期間で、自分の中で明確になったのは、「どうせ死ぬんだから、未来に何かを残して死にたい」と思った、それだけ。

我を全開で、生きてやろうと振り切った。自分一人、仮に家庭ができたとしてもお金に困るようなことはないから、だったら尚更チャレンジしようじゃないか、と。そして何より変なことせず自分のスタイルで、真っ当に、仁義を通しながら生き通そうと決めた。

 

自分にはスペシャルな力はないし、雑草で不器用代表だなとも思う一方で、確かにバトンを受け継いでいる感覚もある。先輩経営者と話していた時の一節。


『私には娘がいる。このままだと日本は本当にヤバい。沈んでいく一方だ。これからインバウンド大国になって、働き口がなくなって、風俗嬢になったりでもしたら...そう思うと怖いよね、僕より若いんだから未来を頼むよ。』


『お前さ、酸いも甘いも経験しただろうけど次はどうするのさ。俺が起業したのは26歳。お前はまだ27歳。俺よりたくさん知ってるじゃないのさ。もう1回やんないの?またいい報告してよ。』

 

鮮明に覚えている2つの言葉。煽られた感覚はない。だけど男臭い表現をすると、血は騒いだ。

マクロな経済状況に対して1企業が影響を与えれることはたかが知れている。このままだと、日本という国はとてつもなく「残酷な未来」が待っている。観光大国というフランスと同じ経済構造になっていく。適正人口は5,500万人程度。3,000万という言説もある。これから数世紀かけて半分ほど減っていき、地方は過疎化し、ますます都市化が進むことは不可避な未来だ。近頃、人口減少自体はイシューではないなと思うようになったが、国内のスケールは小さくなる。

 

この状況をどう捉えるかは人それぞれだけれど、少なくともこれから生まれてくる子どもたちに対して罪はない。生まれた瞬間から急降下中のジェットコースターに乗せるのは少しばかり罪悪感がある。我々平成生まれも失われた30年の最中を生きてきたわけで、活気づいた経済活動を目の当たりにしたことはない。

 

でも少しでも日本の雇用を増やすことに貢献ができるのであれば、誰か一人にでも希望を示せるのであればそれはそれで本望だなと思うし、何よりやらない理由がなかった。

 

なので、やりますかという話。何より自分はまだ何でも「捨てられる」。借金もまだまだ背負える。これはこのジョブレス期間での一番大きな発見だったかも知れない。

 

ひとまずは、四の五の言わずにお金稼ぐ。100%オーナー企業のこだわりはあまりないから資金調達も考えたが、登る山はまだぼんやりしているし、期限切るのは今はリスクでアンコントローラブルだから避ける。幸いながら業務発注してくれる企業さんがいるため、実績作りつつ、コツコツストック収益を作り続ける。

  • 時間軸別でキャッシュポートフォリオを構築する
  • 市場分散型業界を選択する
  • 外部資本の投入はまだ行わない
  • 10人-20人仲間に迎え入れても死なないキャッシュを稼ぐ

詳しい話は別ブログでも書こうかなとは思っている。

 

長ったらしく書いたけれど、結局何も証明できなくて「◯◯が学びになった」って超ダサいなって思っただけでもある。バッターボックスから遠ざかって、スタンス切ってない自分って言いたいこと言えちゃうからこそダサい。

 

「次は長い旅になるな〜」と心のどこかで思っていたから、もっと長い間休んでも良かった気もしたけれど、輪郭はできてきたし刀が錆びても困るから、後は打席に立ちながら考えていくことにする。

 

またゼロからコツコツ懲りずにやっていく。

2020年の振り返りと2021年の見通し

先日、コーチと共に2020年の振り返りをした。一言で言うと『何もできなかった』という反省だった。もちろん、働いていなかったわけではない。

マネタイズスタートから始まった2020年。出鼻を挫かれるがごとくコロナという超巨大な外的要因に晒された。ビジネスの世界で生きてきてからは所謂不況は始めての経験だったし、それに関してはベストを尽くせたし死線を超えたとも思う。

新プロダクトのリリースもあり、正直仕事量自体は昨年の3倍はあった。それでも結論は変わらず、『何もできなかった』。

 

経営者として生きている人たちは共通して財務諸表でしか自分の腕を評価されない。どれだけ壮大な夢を掲げ、どれだけ莫大な資金を調達しようとも、僕らの通信簿は残念ながら、財務諸表以外ない。どれだけ売上をあげ、利益を残し、還元したか。

そういった意味で自分の経営者5年目は0点だった。登り方として当分赤字を掘りながら進んでいくため売上の額は少ないのだがそれが問題ではない。将来的なPLに大きく跳ね返る資産形成への投資・選択ができなかった結果、近視眼的な仕事に忙殺されることになった。忙殺という名の言い訳。意味のないタスクに時間を捧げ、経営としてもっとも大事な問いに向き合うことを怠っていたにすぎない。ウイルス、経済不況、そして他人。アンコントローラブルなものに脳内シェアを割かれすぎた。どれだけ祈り、願いを捧げようがウイルスは消え去らないし、いきなり高度経済成長期は訪れないし、他人は絶対に変えることはできない。

5年目の振り返りとしてはとてつもなく恥ずかしい。

 

よりテクニカルな話をすると、経営として予算未消化というのは大きな罪である。採用予算・広告宣伝費。事業を加速させるリソースへの資金投下がスケジュール通りに行われないことは大きな停滞を生む。そもそも資金調達は事業加速のために行うのだからそれは当たり前だ。資金投下はできなかった分だけ余るためランウェイはそんなに変わらないはずなのだが、他予算の見積もりが甘く結果、計画的にトントンになるという事態。巻きすぎてもダメ、未達でもダメ。予実を外さない人がいるというのならそれはもう一流の経営者だ。


なぜ予算消化できなかったのか。これに関しては個別具体になるため割愛するが、成長しなければならないはずなのに、成長を望んでいるはずなの心のどこかではブレーキをかけていたように感じたという問題が別にあった。それはノックアウト・ファクターがより根本の構造にあると気づきながら進むことに対する違和感だったのだろう。

 

「正しい努力」。それは戦略。アクションが明確で達成可能なプランが戦略。組織のケイパビリティを度外視したプランなど以ての外、市場の成長速度を度外視したプランも三流のすること。ただ僕にはそれが欠如していたのだと思う。

 

こういった反省を踏まえ、2021年はどうするか。大きな抱負などない。

凡事徹底。これに尽きる。

 

年末は今年お世話になった色々な人と忘年会をした。

トップアスリートの体のケアをしているコーチは言った。

トップアスリートは特別なトレーニングをしているわけではない。自分の体がどう動くのが理想か、今はどう動くのか。そのズレを反復練習の中で修正し続けてるだけなんだよ。

同世代で数少ない尊敬する経営者の友人は言った。

当たり前のことを愚直に続けられる組織とは絶対戦いたくないよね。そういう組織が一番怖い。

 

・人は習慣の乗り物である。
・目標はデイリーに落とさなければ失敗しやすい。

 

こんなの当たり前すぎるのに...という情けなさを忘れず2021年を過ごしたい。

ワークスタイルも大きく変えようと思う。重要なこと以外取り組まない。任せる。現場としての責務ではなく、経営者としての責務を果たせるように。

僕らに今必要なのは、崇高な理想でも、飛び道具でもない。結果で価値を証明すること、ですよね。

“強さ”と”優しさ”の衝突

幼い頃から長い間、”強さ”と”優しさ”の衝突が自分の中で起こっていた。二者択一を迫られている時、体はフリーズする。どちらも誰もが持ち合わせている素質だからこそ、この2つとの付き合い方を模索していたが、道半ばとしての解を一旦言語化した。

このエントリは処世術でもあり自己変容のプロセスの一つでもある。26歳時点の自分の暫定解。

 — 強さについて

”強さ”は競争における相対的な優位性と一旦定義する。スポーツ中心の生活で育ってきたこともあり、自分の中には、競争を楽しむ競争本能を飼い続けている。昔からとにかく負けるのは嫌いだった。そして今、僕らは社会人として資本主義経済の元に生きているため、己の評価は市場のメカニズムによって相対評価で定められていく。つまり生きていくために競争し続けなければならない。資本主義の構造にいる以上、この構造の中で生きていくことを強いられる。

 — 優しさについて

"優しさ"は言葉通りだが便宜上、受容性としたい。人間だから弱さはある。嫉妬、惰性、怠慢...etc...人間が持つ欲から生まれる過ちを慈悲の心で受け入れ、包み込んでいくことが優しさだと思っている。強さに固執することはべき論で自分を縛り付けることにもなるため、解放する優しさは社会にとって必要だ。

 

— 強さと優しさのシーソーゲーム

この二面性は誰しもが持っているはずで葛藤もあるだろう。
例えば、経営判断の時。経営は結果の良いパラメーターに寄せていく合理的な判断の連続ではあるが故に、時に残酷だ。皆を幸せにすることができない自分を悔いながらも、合理的な選択をしなければならない時、相手の感情もリアルに想像して絶句する。
例えば、誰かにマウントを取られた時。はいはいと受け流しながらも、心の中では競争本能に火が付いたりする。これは立場が逆の場合も然りだ。

恐らく自分は人より衝突が多い(と思っている)。

先日、友人に勧められてFFS診断をやってみたところ受容性と弁別性が高かった。受容性は「外部を受け入れようとする力の源泉」であり、弁別性は「相反する二律にはっきりと分けようとする力の源泉」を意味する。合理性とも言い換えられる。一旦受け入れて、自分の中に取り入れるものの、その後に白黒つけようとするので、その過程でぶつかるという現象がよく自分の中で起きている。

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ここでスタンスを切っておくと競争それ自体は好きだが、競争の先には何もないことを知っている。勝った、負けた、だからなんだ、というスタンス。だからファジーな表現になるが競争は好きだけど、疲れるし嫌いで望んでいるわけではない。あくまでも競争は手段。

自分の場合、この2つがゼロサム的なシーソーゲームを続けていた。競争本能が強く働く時、受容性は機能してない。完全に戦闘モードに入る。逆に受容性が強く働く時、競争本能は動き出さない。

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そして、このシーソーゲーム自体に疲弊してきた。

 

「世の中の50%以上は男の嫉妬で回っている。妬み・嫉み・僻みのが一番厄介なんだぞ、覚えとくといい」

 

以前、師にそう言われたことがある。

それ程、競争が生み出す「マウント」は階段を登れば登るほど巻き込まれる問題となる。現に今でも嫉妬からくる人の悪口はよく聞くし、自分も色々言われてるだろうと考えたほうがむしろ楽だ。SNSでは誹謗中傷も起こって悲しい事件が沢山起きているし人間ってのはそういう生き物だ。しかもその競争に自分も参戦してしまうと、マウントの連鎖が始まる。それは望んでいないし誰も幸せにならない。

そういった境遇がこれからも沢山起こるだろうと考えるだけ疲れるし、そういった人間の不完全さを受け入れながら、したたかに生きていく術は自分にとって必要不可欠だろうと思って対処に踏み出したのがここ数ヶ月だった。

ー 強さと優しさの共存

望む状態は、シーソーゲームではない。融合。
強くて、優しい、優しくて強い。これは共存しなければならないと思った。

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その状態はこの言葉に表れる。強さが先行する人は自然と語気が強くなる。優しさが先行する人は物腰柔らかいが、ややもすると依存を生み出す。どちらかが先行しても本当に届けたい言葉は届かない。エンゲージメントなきフィードバックはただの凶器であり、フィードバックなきエンゲージメントはただの馴れ合いだ。

そうこうしながら考え共存する術を探っていたが、恐らく衝突は誰かに屈した時に起きるものではなく、自分に負けた瞬間から起きることに改めて気づいた。

 

経営判断における衝突も自分の弱さが生み出した産物だ。対人における優越感や劣等感も自分が生み出した幻想だ。自分の逃避行動がこの衝突を生み出している。
競争本能は持ち合せて良い、というより生存本能と言い換えたほうが適切かもしれない。だが、その本能のままに戦ってはいけない。戦う相手を間違えてはいけない。

この塩梅がなんとも絶妙に難しいのだが、この試行錯誤こそが鍛錬の道。
そして逆説的になってしまうが、恐らくこれは競争のプロセスの中でしか磨かれない。

 

競争は確かに疲れるし、嫌いだ。そのスタンスは変わらない。でも必要なプロセスであると受け入れること、戦う相手を間違えないこと、衝突することは自分の弱さが原因であることに目を向けていけば何か違う景色が見えてくるだろう。

 

すぐ思い浮かぶ限りでの体現者はイチロー。彼の言葉は重く、優しい。彼が放つそれは、強者の論理であるにも関わらず、誰かを傷つける凶暴さを持ち合わせていない、だからしっかり届く。あの不思議な力はなんだろうと思っていたが、似たような感覚なのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。まだまだ分からないことだらけだが、近づけたような気もする。

争いに勝つことは真の強さに非ず

いつまで経っても本当の敵は、自分自身。そういった意味でも強さに果てはない。相対的な強さに一定の基準はあるが、社会的な強者と呼ばれる人達にも”弱い”人は沢山いると思っている。嫉妬の渦に巻き込まれて勝てないので。

そして人は争いを続ける。無駄な争いも多い。だから”自分と戦える”本当の強さを持ち合わせた人は、平行線を辿る争いを昇華させる使命があると思っている。

ワンピースを読んだことがある方は分かるかも知れないが、頂上決戦に置いて一番”強かった”のはコビーだろう。

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キングダムでも様々な大将軍が登場するが、一番強いのは”秦王・嬴政”。

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武力を持って、戦争をなくす。恐らく言葉は現代でも当てはまる。大事なのは、構造上発生しうる競争をまず受け入れ勝ち進めなければ行けないということであってその競争は何かをプラスに進めるためにあると信じたい。

願わくば分かり合いたい

先日、『三島由紀夫 vs 東大大共闘 50年目の真実』 を映画館で見てきた。

単純な構図で言うと、三島由紀夫は右翼、東大大共闘は左翼であり、言葉と言葉の争いが繰り広げられた。世界各国で革命が起きていたあの時代は日本も例外ではなかったわけで、敗戦国である日本は特別でもあった。

具体的な内容は省略するが、一番印象的だったのは本来、思想が違う同士が討論を通して分かり合っていった点である。両者の根本にあったのは「反米愛国」の思想であり、通じ合ったのか最終的に三島は東大大共闘側から「共闘」を申し込まれる。

手段は違えど、底にある目的が一緒の場合は往々にして存在するはずだ。三島達は言葉を通じて分かり合ったはずだし、バガボンドの世界では剣を通して分かり合っていった。

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衝突を生んでいた競争を受け入れ、競争によって磨かれ、競争を昇華させ、分かち合う。逆もまた然り。分かりある合うためには衝突が必要。

 

勿論、道半ばの人間にはまだまだ分からないけれども、強さを持ってして優しくなる。優しいから強い。そういう道を歩んでいきたいし、未熟な自分と戦いながらまた新しい考えを見つけていきたい。

 

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「シン・ニホン」を読んで | 今、この本が出版された理由

「シン・ニホン」をやっと読んだ。
待ち遠しくて予約注文までして待ってい中々腰を据えて読む時間がなく、先週末にまとめて時間を取って一気読みした。
読みながらパッと思ったことが2つあって、ジレンマとして抱えた。

1. 日本の全国民が読むべき本であること
2. 同時に、この株式会社日本の戦略概要書を実行する人の顔が全く見えないこと

既に読んだ方はこの2つはジレンマでも何もないことが分かると思うが、この疑問を持ち、納得をするというプロセスが何よりこの本の本質だと感じたので、その過程と思ったことを書き連ねてみることにした。

 

■ 日本の全国民が読むべき本であること

まず本書を読んでいない方は、
・なぜ日本は成長できなかったのか
・勝機はないのか
・どうやったら変わることができるのか
きっと分かった気になってる人は多いと思う。自分もそうだった。でも読んでから勉強不足を痛感した。
深く根本から理解することをオススメしたい。
400ページ程あるが論理的で明快な文章なのでスラスラ読める。
読むのが億劫な人は、3年前の本書の元となった資料があるのでそちらを読んでみるだけでも良いと思う。

https://www.mof.go.jp/pri/research/conference/fy2017/inv2017_04_02.pdf

■ 今このタイミングで、なぜ出版したのか。

本題は2である。この株式会社日本の戦略概要書とも言える本書を元に仕組みの改革を実行する人の顔が全く見えなかったわけである。
「それで、これ誰がやるの?」という話だ。
産官学で多くのロールを持っている安宅さんが、永田町・霞が関の人たち、大企業の人たち・教育機関の人たちとの議論をしていないわけがない。これほどのファクトを元にした分析からなる提案は意思決定者に対して提示すべき資料である。というより提示済みだ。それなのに、本というメディアを通して国民全員に対して問うてきたのである。そこがすごく腑に落ちなかった。腑に落ちないという感覚は恐らく正しくて、それがこの本に込められた意味なんだろうと読みながら感じていった。

まずこの国の中枢は既存のアプローチでは「変わらない」という事態。ここでいう国の中枢は政治機関・公的機関だけに関わらず、大企業も含む。お決まりの話なので驚きはしないし、もはや「変わらない」というのは恥ずかしながら日本の代名詞になりつつある気さえする。だが「変わってこなかった国だよ」と言うのは他のメディアでも散々発信されてきたことだ。今に始まったことではない。逆に「変わらない、変わらない」と永遠に議論されているうちは平和だとも思う。

だがこの本が他メディアと違う点は「そろそろ間に合わないぞ」と時間軸から見て警鐘を鳴らしている点だ。

まず日本のGDPは過去20年間、成長していない。
普段ベンチャーという文脈にいるのでベンチャーの生態系は確かに成長していると感じるが、それでも国のGDPは何ら動いていないわけである。

そして2016年国としてのP/L (※ 一般会計+社会保障給付費の概算)は、

170兆円ほどの全体予算に対して、
社会保障給費:118兆円(※地方交付金:15兆円含む)
・残債払:23兆円
・国防費:5兆円
・真水:21兆円

真水として使える実質的な国家予算は21兆円程だそうだ。
膨らむ社会保障費を国家予算から補填している現状で、地方交付金も実質は補填だろうとのこと。

そして、財務省の予測では2025年には社会保障費用が150兆円を超えるだろうとのことで、真水の21兆円を充てがっても足りなくなる。
2025年までにこのままGDPが成長しなかったとすると、国のキャパシティを超えてしまう。

大げさかもしれないが、タイムリミットは残り5年
確かに会社がそんなに簡単に潰れることがないのと同様に、国も簡単にクラッシュすることはない。だが、インフレ覚悟で国債を発行し続けることになると、今起こっているコロナショックでは済まされないような経済への打撃は起こりえる事態だということは想定しておいたほうが良い。

そんな焦りを感じたから安宅さんは憤りとともに、本という形で伝えることにしたんだなと。

本というメディアを選択したのは、今まで行ってきた講演や資料では情報の入り方が弱いと判断したからだろう。SNSに慣れてしまった僕らは情報の受け取り方が極めて受動的になった。twitterもインスタもスワイプの連続だし、動画という媒体も基本流し見なのでインプットするにしては効率が悪い。前のめりになって能動的に情報を深く伝えるという点において、やはり本は優秀だ。

 

様々な背景を理解したうえで、やっと腹落ちした。冒頭で述べたジレンマは、ジレンマではなく因果関係。
『この株式会社日本の戦略概要書を実行する人の顔が全く見えない。だから、日本の全国民がこの本を読んで動け』というメッセージ。
 

政治の世界も選挙という制度上、自分に投票をしてくれる人を大事にする。当たり前の力学だ。民意が変われば、政治も変わらざるを得ないだろうというアプローチとして、選んだ「シン・ニホン」の出版。残された5年という中で民意が変わり、システムが変わるという持久戦に追い込まれてしまったという風に自分は受け取った。

■ 賽は投げられた

残念ながら日本社会には非合理的な力学がたくさん働いている。20年間成長できなかった国だからこの事自体は不思議ではない。だけどそろそろ飽きた。区切りをつけて、膿出しをして進まなければならない。

安宅さんが提案する解決策は、何も国家予算の50%の資金使途を変えろと言っているわけではなく、たった3%の予算を未来へ投資として財源確保してみては?(なぜできないのか)というものである。


とは言え僕らは国を待つのではなく、自分でコントロールが効く身の回りのことからアプローチしていくべきだ。

それぞれの世代がやるべきことに取り組む必要があるが、僕らは特に若い世代として、持つべき武器を持たずに社会に出ているということを自覚したすることから始めたほうが良い。


普遍性と時代性の2側面から武器を考えたほうが良いが、AI時代と言う文脈に則るならば時代性は完敗だし、普遍性も怪しい。そもそも社会人になってから「論理的に考えて判断する・アウトプットする」術を学ぶなんてのは遅すぎるわけである。遅いならまだしも身につける過程を踏んでいない人がほとんどだ。


「イシューからはじめよ」は自分も好きな本の一つだが、あれほどのベストセラーでも25万部しか発行されていない。勿論、ロジカルシンキングの類の本は、この本一冊ではないので、25万部という数字は極端で部分的である。だが仮に200万人に届いていたとしても、生産年齢人口の10%にも満たないし、読んでから実践できるようになるのには大きな壁があると考えるとさらに雲行きは怪しい。

 

その上に乗っかる時代性(専門性)に関しては、世界的に見たら戦える土俵にないのが現状だ。この現実を見据えた上で、僕らはもっともっと勉強して武器を持たなければならない。まだ間に合う。

そして、社会人としてやるべきことは、経済活動を通して成長と希望を示すことだ。
2020年というのはすごく不気味な雰囲気が漂う年だと感じている。時代の変わり目。
最近、不況と混乱の時期だからか戦う相手を間違えているのでは?と頻繁に感じることがある。
あまり深くは言及しないが、SNSでの論争?を見ると悲しいなと思うばかりであるしどうでも良いことに振り回されない力というのは大事だなと思う。

今、変われないと終わるだろうなというタイミング。この激動の時代に生まれ、26歳というちょうどよい年齢でこの5年間を迎えることは運命だとも思うし、正直楽しみだ。
・向き合うべきものを誤らず、
・古き悪しき習慣には明確に”No”と言う勇気を持ち、
・掲げた理想に正対して妥協せず
戦っていきたい。

賽は投げられた。

 

20代前半と後半についての備忘録

ブログをnoteから移転した。理由はnoteのフォントが嫌いだから。

このブログは現時点で自分が考えていること、この数年を振り返って思っていることを書いているだけなので、ただの備忘録的なものになる。特定の誰かに向けて書いた文章でもないので、分かりづらい表現が一部あるかもしれないことは予めご了承頂きたい。

 

先月、26歳を迎えた。誕生日当日は、大学時代の友人のシェアハウスで過ごしていてサプライズ的に祝ってもらったが、それも彼らとの縁の深さを感じる。大学時代の友人は一生モノだとよく言うが深く納得するものがある。

突発的だが、この文章を書こうと思ったきっかけは蒼井優さんのブログだった。
女性向けの記事だけれど、男性にも共通するところがあって僕は深く共感した。

woman-type.jp

勢い。

20代前半なんてただの勢いだった。勢いで進んできた分、たくさんの過ちを犯した思う。勢いの裏に隠されているのはきっと欲望の塊だし、自分以外の他者に対する憧れだ。こんな自分になりたいと言うけれどそれは大抵、自分が望む自分ではなくて、誰かから見た格好いい自分だったりする。ただそんな偽りの欲望に意味がないと分かってくるのが20代半ばだし、そこを過ぎてくると矢印は自分に戻ってくる。自分の心と向き合い、自分の体と向き合うようになる気がした。

 

内なる欲求が自分を駆り立てるフェーズに変わっていく。これが蒼井さんのいう自分にあった服を着るということ。他者との比較により、自分が社会の中で相対化されることで向き合えるようになる時期。コンプレックスに向き合う、生まれてきて授かった自分の能力・体と向き合う。自我形成の第2フェーズのようなものなんじゃないかなとも思っている。

 

そもそも僕は、人には1人1人成すべきミッションが与えられているという考えを持っている。そのミッションを果たすために最適な場所に出会えた時に人は最も輝くし、それを「適材適所」と呼ぶ。それに出会える日というのは人によって異なるけど自分に向き合い、会話し続けている人ほど早く訪れるんだろうなと思う。早い分だけ右も左も分からないまま進むからエネルギーは使うし、遅い分だけ経験があるから早く登れたりもするから早い・遅いに良い・悪いはない。あの坂本龍馬だって使命感に駆られ脱藩したのは28歳で、亡くなったのは33歳。5年間が彼の人生だったと言って良い。

 

大学時代の環境要因もあるが、僕も20代前半は自分との対話・内面の未熟さ・ソフトスキルに時間を費やしてきた。ソフトスキルなしにハードスキルを持つことのリスクや伸び悩みを懸念したし、何より最もレバレッジの効くものだと思っていたので、間違いではなかった。

 

それでも「勢い」で進んでしまうのだから無知と若さは魔法だなと思う。

そして25歳だった一年前は、まず自分にとって一つ大きな意思決定からスタートした。

takuya-k.hatenablog.com

それで?この一年はどうだったの?と聞かれると、うーん正直「一番仕事量が少なかった年かな」と答える。理由は様々あるが、一番はまだその時じゃなかったからだと考えている。他にもスタイルの見直しというか色々なスタイルを試してみた。

僕は「誰よりも正しく多く練習した人が上手くなる」という考えなので、基本オールインするスタイルでお金も時間も突っ込む。お金はたかが知れているが、誰よりも対象のことに四六時中時間が使えるから、当たり前だけど早く多く学べるし身につく。このスタイルを一度崩してみたが合わなかったから戻したりした。そういう試行錯誤を経たからこそ、今もう一度自分らしくやったほうが良いなということで復調しているから、やはり人生に波はあるし2019年は「準備の時期だった」と捉えている。

 

ただ良い準備はできた。

コーチングもパーソナルトレーニングもいいコーチとの出会いがあって、今でも月一回のメンテナンスは習慣になっている。自分という乗り物がいつ・どんな時にどうなるのかを理解できたし、これからもっと理解できるようになっていくと確信している。

なぜか「生」に対して無責任な気がして、食生活も酒の量も大きく変えた。※ 飲む時は飲みます。

ただ、それでも脳内キャッシュは溜まるし、ストレス・疲労は溜まるのだから、また人体というのは不思議で面白いなと思う。


素敵な「考え方」にも出会った。分かりやすく言うと非線形的な運命を受け入れるという考え方。それまでは偏りすぎたくらい線形的で何かの事象に対しては理由をつけたがる癖のあった自分にとって、バランスが取りやすくなって推進力が生まれる考え方だった。

 

迎えた2020年。20代後半に突入した今、何か時間をかけて育ててきたものが、一つ一つ実になってきてるような気がする。ここまで運気が良いと自分で感じるのは人生を見ても1回あるかないか。人との出会いにも恵まれ、良い「気」を皆さんから貰っている。

準備期間を終えて徐々に機運が高まる今、腰を据えて実を大きくしていきたい。

自分という乗り物がある程度コントロールできるようになってきたところで、この乗り物に対して武器を与えていこうとしている。武器というと専門性?と聞かれるがニュアンスが微妙に異なる。僕にとっての専門性は、圧倒的な守備領域なので今までカバーできていないこと全てが対象になりうる。

守備範囲を広げると言えど、本質は一緒なので全く別のことに対してコミットしている認識もないのだけれど、とりあえず2020年は統計と法律に焦点を当てている。

なぜこの2つかというと業務上の範囲が大きいということもあるが、シンプルに世の中の成り立ちを正確に捉えたいから。

進捗は良い。やはり思考は現実化するし、ここまで年始に立てた目標に向かえているのは初めてかもしれない。コーチに感謝したい。

ここから20代後半が始まるが、個人的なミッションは変わらない(スポーツで新しい経済圏を作ること)し、見ている景色も変わらない。少しずつ登って雲がかっていた部分が見えてきたところ。

蒼井さんが言うように、これから更に年齢を重ねるのが楽しみで仕方ない。