ジョブレス期間を経て

会社を辞めて数ヶ月、自分が何をしていたのか。とこれから何をしたいのか、について。

僕は数ある企業の中でもAmazonがとても好きで、企業文化の一つに『いつだってDay1である』という指針がある。そういった意味で、なんのしがらみもない自分が何を考えていたのかをいつでも立ち戻って確かめられるように文字として残している。

 

1社目を起業してからこれまで、特定の産業に対して張り続けてきた。面白いことに、しつこく生き続けていると、業界構造からお客さんのニーズの変化、競合企業の動き、未来がどうなるのか、その時間軸などたくさん鮮明に見えてくるものがあった。自分がこれだけ鮮明に動きと未来(20年先くらい)が見えたのは初めてで、だからこそ捨てることに対して、とてつもない抵抗があった。

それでも辞めた理由は、自分の大事なコアが失われると思ったから。正直、会社経営なんてものをしていると、大体性格は悪くなっていく。これは非常に難しいけれど、恐らくどの会社も全体最適と個別最適が一致することを目指しているが、何かしらでトレードオフが求められ、何かしらの犠牲が伴うから。

その中でも各社それぞれ何かしら乗り越えたストーリーがあって、超える度にリスク許容度とメンタル・タフネスは上がっていく。ビジネスは競争ではないと言い張る人もいるが、実態はマーケットの中でのポジションを取り続ける競争だし、当たり前に、手段は選ばなくなっていく。自分も守るべきもののためなら闘うことを厭わない。ましてや成長につれて、経営のボトルネックは変化し続けていくし、だから些細なことは気にしなくなっていくというのが所謂、性格が悪くなっていく大筋の理由だと認識している。

 

それでも最後自分の中で反発したのは、それだけは曲げちゃダメだろうという在り方だった。一貫性、正直であること、仁義を通すことを曲げた時に、自分の魂ごと抜かれる気がした。だから放り投げた。勿論、この状況を作ったのは自分の全面的なミスだから、誰かを責めるつもりは全くない。自己矛盾に耐えられなくなって体が先に悲鳴を上げていることに気づきながらも走ってきたのは自分の選択の結果でしかないから。

何事も過ちを棚卸しして、学びとして昇華して、次に活かすことしかできることはない。 

とにかく休むこと。何もしないことを受け入れること。

少し脱線。

最近、リモートワークということもあって、うつ病や休職という話をよく聞くようになってきた。友人の経営者はどれだけ労務ケアをしても、やっぱり一定確率は発生してしまう、と悩んでいるのを聞いた。

自分も例外ではない。これまで綺麗事を言い張ってきたが、辞めてからは基本的には体たらくな生活をしていて、ベッドから起き上がる気力もなければご飯を食べる気力もなかった。

ある人に「あなたは今人間じゃない」と言われるほど落ちた。自分はメンタルが弱い方なので、こういった時の心得はプロのトレーナーから聞いていたから対処できたものの、知らなかったらみんな生きる活力をなくして悲惨な事態になっていく。

人にもよるけれど、こういう時は、落ちるところまで落ちるというのが基本。

自分も定期的にコーチングも受けているが、コーチングのように、鎮痛ではなくディベロップメントの要素が強い選択をすると、Badが強くなってしまってより落ちていく。

だからこういう時の心得は流れに身を任せて落ちる、そうすると大体飽きてくる

 勿論人によって対処は異なるものの、何かしらのメンタル・クライシスは発症してしまうと再発率が上がってしまうから、自分に合った処置を早期で見つけることはとても大事。まだ自分も若いが、大体の人はリカバリーのことを軽視しがちだと思う。1日単位での「ハードワーク・ハードリカバリー」。週末寝溜めとか一番やったらダメ。

しっかり寝て、しっかり食べて、しっかり笑う、しっかり運動する。これを自分でコントロールできない人に挑戦する資格はないと自分に言い聞かせているし、この期間飲み歩いていたが、もうしばらくお酒は適量にする。

ただこのクライシス自体は、振り返ると良いことで、自分は仕事以外に生きがいがなかったのだと感じるいい機会になった。それはそれで寂しいと言われることもあるが、起業しようだの考える人種はそんなものだろうし、両立してる人もいるけれど、経営のことが頭の中から全部離れる瞬間なんてないでしょう。

 

長くなったけれど、このジョブレス期間を通してやりたかったことは、これまでの棚卸しとこれからの生き方のセット。20代も後半に差し掛かると各々ライフステージがあるし、長く一緒に頑張ってきた経営者の友人たちは次なるステージに突入しようとしている。先輩方は遠い先を歩きながら、未来に何を残そうかを考えている。様々な考え方に触れる中で、すべてを受け入れて自分は何をやりたいんだろうかと、咀嚼してみようと思った。

これからは、この期間にやってみたこととその感想をツラツラと書いていこうと思う。

 

やってみたこと1:はじめての就職活動

人生ではじめての就職活動をしてみた。友人、先輩も含めたくさんの方からオファーを頂いたし、ビズリーチにも登録してみた。南場さんがDeNA経営期間中に、何を思ったか転職サイトに登録したという話を聞いて、やってみることにした。

 

沢山良いオファーはたくさんあったことは嬉しかった。ただとても失礼でおこがましい話だと認識した上で、頂いたお話全てで自分が活躍できるイメージがあった。だからそれは楽な道なんだろうなと思ってしまってお断りした。ごめんなさい。

 

より噛み砕くと、経営者にとっての価値は企業価値とそれを構成する財務諸表ロマンはソロバン有りき。だから自分の市場価値なんてのは意味がない。どっちが良い悪いではなくて、評価の基準が違ったんだと、それでしかない。

 

ただこの就職活動自体も別の目的があった。自分の目的を確かめるために、色々な企業の社長と対話しながら、その人の見えている世界を覗いてみようというのと、自分との違いはなんだろうというものだった。

 

『何屋さんなんですか?何をやってる時が一番楽しいんですか?』

 

この質問は月並みだが、一番困ったし、一番有意義だった。ただ嘘つかずに「そんなものはありません」と答えて回った。

 

理由は単純で、これまでは常に課題が変わり続けるボトルネックソリューションが仕事だったから。事業の作り込みが必要な時期もあれば、採用・資金調達が必要な時期もある。多岐に渡るからそんな専門性はありませんというのが答え。

ジェネラルに各領域の専門知識は求められるものの、本質的には変わり続ける経営課題の解決が自分の仕事だったから自分自身は何屋でもない。※ 会社が何屋かは明確に定義する必要はある。

これに対して後ろめたさも何もなく言い切れる自分がいることを確かめられたことは大きい収穫だった。

 

あと面白かったのは社長レベルでの面談になると、いともカンタンに見破られた(笑) 

『面談は以上なんだけどさ最後に聞きたいのが、もう1回自分でやる気はないの?』

嘘つくのが嫌だったから「ありますよ」とお答えしたらこの企業からはお見送りメールが送られてきた。そんな奴に割いてる時間はねぇ、勝手にしろというメタメッセージを受け取った。

 

また自分が求めるビジョン・ミッションというのがどういった性質を帯びているのかが分かってきた。ビジネスは、お客さんの問題解決をしてお金を頂くというとてもシンプルな経済活動なわけだが、その先にどういった世界が待っているのか?と問うと◯◯のプラットフォームになりたい、そういった類の手段が目的化している回答が多かった。だからと言って経済活動の力学には反していないため否定はしない。大きくなったらそれだけの人に価値を届けていることになるから。

ただ自分の性格的に手段と人に対してグリップされることが少ないため、自分の求めるビジョンとはマッチしなかった。と同時に目指すべき社会の姿を持つ企業というのはとてつもなく採用有利だなと感じたし、それは創業社長の果たすべき役割で、継承するならば経営そのものではなくビジョンと意志の継承であるべきだ。 

とてつもなく良い学びになった就職活動だった。

 

やってみたこと2:旅行と娯楽

一人で沖縄に旅行に行ったり、遊んでみたり。感想は楽しかったんだけど虚しかった(笑)。どうせなら海外に行きたかったけれども。

これは旅行とか娯楽を否定するわけではないし、一緒にいた人達を否定するわけでも全くない。今はそれをやる時期じゃなかったんだと思う。

エネルギーの向き先が決まっていないこの時期に、落ち着いたり、娯楽を楽しんだりすること自体は自分にとってあまり意味がなく、本筋ではなかったということをただただ再認識できたことに意味があった。

やってみたこと3:司法試験の勉強

リーガル要件が強い事業をやっていたこともあって、当時は弁護士の方々から強いお墨付きを頂いた。正直、隔週の弁護士チームとのミーティングはとても楽しかった。

 

浪人の時から弁護士になりたかったし、浪人時の友人が今、司法試験に向けて勉強している。これもタイミングかなと思い、一緒に勉強してみようと思ったが、結論やめた。きっかけは大先輩のから一言だった。

『それは本質的に、お前がリーガルに向いてるんじゃなくて本10冊読んで、専門家と話ししたら、大体できるようになるだけだろ。てか経営者ってそういうもんだろ。

 

まぁそうだなと。お前の向かう先はそこじゃないぞと正してもらって感謝してる。

幸いリーガル分野の繋がりは強いからこそ、彼らに任せようと思った。明確に捨てられたことの一つ。

 

やってみたこと4:経済と歴史のお勉強

たくさんの人にお会いする中で、「次は何するの?」と聞かれる度に焦る自分がいた。

ただ、焦る自分をメタ的に見ると心底気持ち悪く感じる自分がいた。他人の時間を生きることほど無駄なものはない。だから登る山を決める ということにできる限りの時間を使っている最中。

 

その過程で、この世界に対する理解の足りなさを痛感した。改めて自分が放棄してきた「勉強」を自分の経営経験というレンズを通しながら進めている。勿論、全部知り得ることなんてできないし、全部知り得てからアクションするなんて筋の悪いことはしない。ただ今の自分が見えるだけの世界をキャプチャーして登る山を決めていきたい。

 

やっと全体像が見えてきたがとてつもなく長くなるため、また別のブログで今見えている限界を記しておきたい。

 

やってみたこと5:人に会う

これまでお世話になった人に挨拶して回った。新規でご紹介いただいた人もいた。

やっぱりこれが一番、時間の使い方としては有意義だった。 この期間、一番マインドシェアを割いて考えたのは『もう1回創業期をやるのか?』

 創業期ってのはまぁー大変。これまで創業期を経験したのは3回。次で4回目。あーまたあの地獄やるのかーというのが本音。まぁしんどいことから逃げたくなるのが人間。

 

皆さんから厳しい意見も頂いた。要約すると、あなた創業向いてないし、経営者タイプだから天下取りそうな人に仕えたほうが良いよ、というとても優しさ溢れる意見だった。

認知していたからこそ、実はそこまで悩むということはせず、逆に今まで自分の船を作るという選択から逃げてきたから、この有様なんだろうとも思うし、この時期に仕えたい主に出会えなかったというのも明確な事実だから、まぁやるか。というそう落ち着いた。

 

これからの話:ゼロからコツコツ

このジョブレス期間で、自分の中で明確になったのは、「どうせ死ぬんだから、未来に何かを残して死にたい」と思った、それだけ。

我を全開で、生きてやろうと振り切った。自分一人、仮に家庭ができたとしてもお金に困るようなことはないから、だったら尚更チャレンジしようじゃないか、と。そして何より変なことせず自分のスタイルで、真っ当に、仁義を通しながら生き通そうと決めた。

 

自分にはスペシャルな力はないし、雑草で不器用代表だなとも思う一方で、確かにバトンを受け継いでいる感覚もある。先輩経営者と話していた時の一節。


『私には娘がいる。このままだと日本は本当にヤバい。沈んでいく一方だ。これからインバウンド大国になって、働き口がなくなって、風俗嬢になったりでもしたら...そう思うと怖いよね、僕より若いんだから未来を頼むよ。』


『お前さ、酸いも甘いも経験しただろうけど次はどうするのさ。俺が起業したのは26歳。お前はまだ27歳。俺よりたくさん知ってるじゃないのさ。もう1回やんないの?またいい報告してよ。』

 

鮮明に覚えている2つの言葉。煽られた感覚はない。だけど男臭い表現をすると、血は騒いだ。

マクロな経済状況に対して1企業が影響を与えれることはたかが知れている。このままだと、日本という国はとてつもなく「残酷な未来」が待っている。観光大国というフランスと同じ経済構造になっていく。適正人口は5,500万人程度。3,000万という言説もある。これから数世紀かけて半分ほど減っていき、地方は過疎化し、ますます都市化が進むことは不可避な未来だ。近頃、人口減少自体はイシューではないなと思うようになったが、国内のスケールは小さくなる。

 

この状況をどう捉えるかは人それぞれだけれど、少なくともこれから生まれてくる子どもたちに対して罪はない。生まれた瞬間から急降下中のジェットコースターに乗せるのは少しばかり罪悪感がある。我々平成生まれも失われた30年の最中を生きてきたわけで、活気づいた経済活動を目の当たりにしたことはない。

 

でも少しでも日本の雇用を増やすことに貢献ができるのであれば、誰か一人にでも希望を示せるのであればそれはそれで本望だなと思うし、何よりやらない理由がなかった。

 

なので、やりますかという話。何より自分はまだ何でも「捨てられる」。借金もまだまだ背負える。これはこのジョブレス期間での一番大きな発見だったかも知れない。

 

ひとまずは、四の五の言わずにお金稼ぐ。100%オーナー企業のこだわりはあまりないから資金調達も考えたが、登る山はまだぼんやりしているし、期限切るのは今はリスクでアンコントローラブルだから避ける。幸いながら業務発注してくれる企業さんがいるため、実績作りつつ、コツコツストック収益を作り続ける。

  • 時間軸別でキャッシュポートフォリオを構築する
  • 市場分散型業界を選択する
  • 外部資本の投入はまだ行わない
  • 10人-20人仲間に迎え入れても死なないキャッシュを稼ぐ

詳しい話は別ブログでも書こうかなとは思っている。

 

長ったらしく書いたけれど、結局何も証明できなくて「◯◯が学びになった」って超ダサいなって思っただけでもある。バッターボックスから遠ざかって、スタンス切ってない自分って言いたいこと言えちゃうからこそダサい。

 

「次は長い旅になるな〜」と心のどこかで思っていたから、もっと長い間休んでも良かった気もしたけれど、輪郭はできてきたし刀が錆びても困るから、後は打席に立ちながら考えていくことにする。

 

またゼロからコツコツ懲りずにやっていく。